Archive for July 2007

「読む」ということ - (メディア計画研究室 課題「BOOK」 提出レポート)

1.奇妙な感覚

 私は、このレポートに関して調べものをし、足を使って移動をするうちに、いくつかの奇妙な感覚を経験した。本の置いてある(らしい)ところへ遊びに行くような気分で青山・表参道周辺の洋書店やアートスポットを巡っていた私は、街全体がまるで遊園地か何かであるように感じていた。これのどこが奇妙だったのかというと、特に目的の本があるわけではなく、街の中にある本から本へ、書棚から書棚へと、その狭間を漂っているような心地は、本を読んでいるときの文字の中を泳いでいるような感覚を呼び起こしたのである。
 また、本を読むという行為に関する書物を求めて図書館へ行った時には、自らが一種のトートロジーを体現してしまっているかのように感じた。つまり、本を「読む」という行為について考える手がかりを求めて、本に記されていることを読んだのであるが、そのときの私はというと読書という行為がいかなるものか満足な説明がなくとも読書しつづけていたのだ。
 かなりの自覚を伴って、本について、あるいは読むということについて考えながら本を読むということ、そしていつも目的の書架の横には図書館について記された本(図書館学)が並んでいることは、私の思考と行動が一致とも不一致ともつかない奇妙な堂々巡りのなかにあるように感じさせた。 果たしてこれらの感覚は、単に本が我々にとって極めて身近な存在であるということだけから生まれてきたものなのだろうか?



2.読むことの歴史

 アルベルト・マングェルの「読書の歴史」を読むと、西洋において読書は社会/共同体的な読書から個人的、独創的な読書へという大きな流れを持っていることを窺い知ることができる。書物を思索の支柱にし、賢者の言葉のように書物の言葉を信じるという読書のありかたから、書物から引き出した内容と記憶の中のテクストとを結びつけて読者自身の新たなテキストを作り出すような読書へのゆるやかな変化は、朗読から黙読へという読書の方法そのものの移行とも密接に関係している。またこのことは、15世紀後半の活版印刷技術の登場と関連して、少数集中型の読書から拡散型の読書へという変化の側面も持っている。
 今日の我々の読書は、決して古くから当然とされてきたものではなく、比較的新しい読書の方法なのであり、そして今も変化の中にあるのだと言える。これは近年の電子出版や電子本への関心が逆に従来的な書物への関心を高めている状況からも明らかだ。我々の読書の方法や本との付き合い方は、文字の読み書きがそうであるように、教育によって培われたものである。
 写本・音読時代の読書は、黙読によるテキスト同士、あるいは注釈や索引とのあいだの分析的な関係のまさに目に見えてわかる増加、活版印刷技術による本の絶対数の飛躍的な増加などの結果、多くの書物(多くの読書)の関連を読み進め、また関連を読者自身が生み出していく創造的な読書へと変容する。この「新しい」読書こそ、今日の我々の読書に通じるものである。この読書の最も大きな特徴は、終わりがないというところにある。いや、たしかに伝統的な読書にも終わりはなかっただろう。しかし、今日の読者はどれだけ大量の本を読んだところで、過去の読書家のようには満足できないだろう。我々が読む書物は、信じるべき賢者の言葉でもなければ、知の巨人がつくる大きな建築物でもなくなってきている。いまや読書とは、読みつづけるということなのだといえるだろう。
 同書には、筆者がタルムード研究者の次のような言葉を引用している箇所がある。「たとえ膨大なページ数を熱心な読者が読み進めたところで、自分はまだ、まさに第一ページに至ってはいないのだと言うことを決して忘れてはならない。」この考えによれば、読者は本の「第一ページ」さえ読むことができないまま読みつづけなければならないということになる。



3.ひきつける本

 青山・表参道周辺を歩いていたその日、私は韓国人アーティストのカン・アイランの「本の重み 本のあかり」が催されている洋書店NADiFFへ寄った。そこには様々な本の中にまぎれて、カン・アイランの作った青白く発光する本のオブジェが点在していた。青い光は、私たちの精神的なものや思慮のイメージを喚起するかのようで、その「本」のかたちをしたオブジェは私たちを「本」の内側へとひきつけ、同時に外側への広がりを感じさせるように見えた。
 しかし、かと言って世界全体があのオブジェに封じ込められているとは思わなかったし、世界のある場所があのオブジェに占有されているとも思えなかった。むしろほかならぬ私自身が、あのオブジェを見て外部へと広がる世界のイメージを生み出したと言えるのではないか。「本」のオブジェの青白い光のうちに、文字の読み書きを覚えてから(あるいはそれよりも前から)今日まで続けられ、どこにいようといつまでも続く終わりのない読書、関連の中にこそ意味を持つ書物を見つめていたとは言えまいか。
 室内全体を明るくするのではなく、ただあの本自体をほのかに浮かび上がらせるためだけの光を発していたあの「本」は、「すべての本」を象徴していたように思われる。
 書店で私たちの目に止まる本、私たちが布団の上で読んでいる本の背後には、無数の本の影がある。一生の間に読むことのできるのはこれらの無数の本のうちのほんのわずかでしかないが、たとえ数千、数百の書物の読書だとしても、それは無数にある本の関連を読んでいることになろう。図書館や書店で私が経験した奇妙な感覚は、私が今まさに終わりのない読書の最中にあるということの証である。




<参考文献>

 「読書の歴史〜あるいは読者の歴史〜」 アルベルト・マングェル 原田範行(訳) 柏書房 1999
 「書物から読書へ」 ロジェ・シャルチエ 1992
 「本という不思議」 長田弘 みすず書房 1999

飛ぶ本の発見、あるいは新種の鳥類の発見 - (メディア計画研究室 課題「BOOK」 制作企画書)

風に舞う木の葉や一枚の紙片よりも、鳥たちは空を自由に飛び回る。もしも飛び交う鳥たちの軌跡が消えてしまわずに残り続けるものならば、大地はすべてその痕跡に覆われてしまっているのかも知れない。

鳥たちと並列して考えてみた時、書物は人との関わりや他の書物との関わりを、その息づかいとして我々の前に明らかにするだろう。私は鳥類と書物の関係を端的に、飛ぶ本あるいは新種の鳥類の組写真を制作することで表現しようと思う。

合成処理、ミニチュア撮影などによって完成された飛ぶ本あるいは新種の鳥類のイメージは、空想の産物でありフィクションにすぎないが、あたかも記録写真であるかのように虚実の判別がつかないあやうさを持ったものにしたい。そのとき、複数枚ある写真は、飛ぶ本あるいは新種の鳥類の存在を示す間接証拠としても機能するはずだ。


(2000年9月)

M.マクルーハンの「文化マトリックス」について - (講義「メディア論」への提出レポート)

ライト・コンストラクションに見られるマトリックスにおいて、ガラスは物質性を伴う素材としてではなく、光を透過させ建築の内と外との区別を希薄にするようないわば非物質として用いられている。だが内と外との厳格な関係を決定するものの存在が不確かになったとしても、建築から構造そのものが失われることはない。
マクルーハンの理論によれば、情報文化において有機的に統一された相互作用の関係を可能にしたのは、電気の即時的なスピードである。機械技術によって画一的で均質的な単位に細分化されたパターンとは線条的な論理でしかなく、電気の時代にはじめて、我々の知覚体系と比べてみてもきわめて自然な、全体的な相互依存の構造の観念が定着しようとしているのである。
有機的に統一された情報文化とは単に情報の送り手と受け手との双方向的な作用を指すものではない。メディアの背後には人間がいて、技術を用いる人間こそが重要なのだとする考えは、機械技術の時代のものと何ら変わらない。むしろ、メディアの内容は別のメディアであるという同時的な相互依存性によってわれわれの知覚・経験が統一されていると考えなくてはならないだろう。このときはじめて、あの「メディアはメッセージである」という皮肉めいたステイトメントがメディアと人間の関係全体を見事に言い当てるのである。
ここで具体的なメディアの例として、電話の場合を考えてみよう。電話というメディアの内容をわれわれの会話、あるいは声であると考えれば、しかし音声自体は、ラジオはもちろんテレビや映画、レコードなど様々なメディアの内容なのである。電話の内容は言葉であると考えてみれば、事情はいっそう複雑になる。話し言葉は書き言葉の内容で、書き言葉は印刷された言葉の内容であるといえる。つまりここでは言語の体系およびその成り立ちの問題が入れ子の構造に現れているのだが、一方で話し言葉を非言語的なプロトコルとして捉え直してみても人間の思考過程に関する入れ子の構造が立ち現れる。このように電話というメディアの複雑な織物は、電話回線のごとくわれわれの周囲の環境に広がりを求めるわけだが、それは電気の即時的なスピードがもたらした相互依存性の結果だと言える。
特定のメディアにおいて固有の内容というものは考えられない。冒頭で採りあげた建築というメディアなどはまさに「機能する空き箱」である。建築の物理的な構造は電気の時代にCADによる設計の技術やサイバースペースというメタ空間を獲得し、文化的マトリックスの物質性/非物質性を具現化しているのかも知れない。

(2000年9月)

W.ベンヤミン『複製技術時代の芸術』要旨 - (講義「メディア論」への提出レポート)

ポール・ヴァレリーの引用に始まり、序論とあとがきを含め全15章で構成される本著でベンヤミンは、複製技術の時代において失われていく「アウラ」を定義し、大衆社会と複製技術時代の芸術、とりわけ映画との関わりについての考察をすすめる。
アウラ、つまりオリジナルの芸術作品のもつ「いま」「ここに」しかないという真正性、一回性は、大量生産を可能とする複製技術によって一時性、反復性に取って代わられた。同時に、かつての芸術作品の儀式めいた礼拝的価値はアウラの消滅にともなう展示的価値の優位の前に影をひそめることになった。その契機としてベンヤミンは、歴史のプロセスの間接証拠とでも言うべきアジェの写真を挙げている。
そして写真よりも更に進歩的な、映画という真に複製技術の影響力を備えたメディアの登場はまた、それまでにないほど強く大衆との関わりを持った芸術の登場も意味していた。映画の観客は、映画をうやまいたてまつって見るようなことはしない。むしろ役者が臨んだ光学テストの審査官としてスクリーンに投影される映像を見つめるのである。
大衆と同じく撮影者も、審査官の立場をとる。画家の場合と違って撮影技師は光学テストの装置によって外界・被写体に対し、暴力的な近さをもって接するが、それは観客においては定着することなく連想ゲーム的に画面の移り変わるショック作用であると言えるだろう。


(2000年9月)

作家性と複数性について - (講義「作品研究」後期への提出レポート)

作品制作において、作家性というものは、作家本人の周囲を取り巻いている複数性に対立するものなのであろうか。あるいは完全な個人作業でない限り、作家は「作家性か、複数性か」という二者択一を迫られたり、両者の均衡状態を最適に保ち続けなくてはならないのだろうか。

このような問題が集団作業に関わる個人(狭義の「作家」に限定しなくてもよいだろう)にとって重要なのは当然だが、個人作業において無視されて良いものでもあるまい。なぜなら、ひろく物づくりにおいて、複数性とは単に複数の人間が作品制作に携わるということのみを指しているのではないと考えられるからだ。あるいはこのように言い換えることも可能だろう。複製技術が発達する遥か以前ならまだしも、今日のような高度なメディア情勢が、「複数であること」と関わりを持たない純粋な作家の居場所など果たして許してくれるだろうか?いまやそのような作品制作は、いわゆる「自分さがし」のためのモラトリアムな時間のなかにしか存在しえないのではないか。

ここで、作品のメディアが何であっても、また制作に携わる人間の多少にかかわらず、作品制作は常にその過程に複数性を含んでいるということを指摘しておきたい。

不特定多数の人間に対して提示されるための表現に作家性があるかどうかは場合により異なるにしても、少なくとも表現は作家以外の人間、つまり他者が存在してはじめて表現と「呼ばれる」はずである。さらに、表現という行為は先天的に複数であるということ、つまり時空を超越した「ただ一つの」表現というものを考えてみたとしてもそれは「ある一つの」表現でしかないということが言える以上、ひとつの作品は「作品の総体」とでも言うべき複数性を前提にして存在していると考えられる。

その制作過程において作家は、彼以外の人間の存在や今作られつつある作品(行為されつつある表現)以外の作品(表現)があるという可能性に向かってのみ作品を作ることができる。また、作品が完成するまでのプロセスは、実際には選択されなかった無数のプロセスのなかから生まれたものである。ここまで考えてみると、制作に際し組織された集団や帰属社会、あるいはそれらを形成する個人が作家個人にいわれのない妥協を強要することがあるとすれば、それはコミュニケーション(ないしは商業性)の問題以外にはありえないということは明確である。元来作家性とは、作家と作品の関係性を「作家は作品制作/表現行為に対して唯我的に存在している」という構図で捉えたにすぎないはずだ。その作家性が集団や社会といった複数性を前に不自由になるのは、作家が、作るということが持つ複数性や集団作業における個人相互のコミュニケーション(これこそがまさに複数性の問題そのものだと言えよう)を軽んじているときだろう。


(2000年12月)

作品制作において予算を抑えるためにはどのような工夫が考えられるか? - (講義「作品研究」後期への提出レポート)

作品制作において予算を抑えるためには、例えば黒澤明のように、微に入り細に入り徹底的に思うとおりに制作していてはいけない。彼は、例えば大多数の観客にはわからないような戦国時代の鎧甲冑のデティールを可能な限り再現するといったことが理想的な全体を支持し、彼の作りたい映画に導いてくれると信じていたわけである。
だが、黒澤の場合のように映画内世界と現実世界とで一致した「意味」の支持体を作り上げることは、相応の予算が無ければ出来ない。制作費を抑えるためにはむしろ、そのような作家の思い入れとしての「意味」に立脚した制作は捨て去って、ただ完成した作品が生み出す「効果」についてのみ思索しながら制作すべきである。そのとき必要なのは計画性、最終的な作品へと向かう制作過程を的確に把握できるだけの注意深いまなざしである。


(2000年1月)

『夜の河』における色彩設計について - (講義「作品研究」後期への提出レポート)

 阪大助教授・竹村に病気の妻がいることを知った時、竹村を愛するキワは彼と結ばれたいと願う一方で、彼の妻の死を願うようなことはあってはならないという自戒の念に感情を抑えられ思い悩んでいる。つまりキワにとっては、余命いくばくもない妻を持つ男性からの求婚とは単に願望を実現するための決断を迫られるにとどまらず、彼女のモラルの位相を問われる種類の出来事であったのである。
このように旧来的なモラルと近代的奔放さにその身を引き裂かれているのはヒロインだけではない。京都という土地もまた、古くからの伝統的な息遣いと押し寄せる近代化の時流とに引き裂かれているのである。現在においても、新たな建物の建設計画が明らかになるたびに住民の間に議論が引き起こされている。1997年に京都駅が大々的に改築されたおり、土地以外の人々からも様々な意見が出たことは記憶に新しい。

 『夜の河』における京都の街は、全体的に淡く褐色がかったような色彩を基調に描かれているのだが、時折画面に持ち込まれる着物生地や花などの鮮やかな原色の存在していたことを忘れてはならない。なぜなら、その目の眩むような原色が、人物たちの振る舞いや感情を丹念に紡ぎ出す物語のなかにあって一種軽快とも言えるようなリズムを生んでいるからだ。
この作品が吉村公三郎の初めてのカラー映画であるが、彼は自伝の中で「実をいうと、私は生まれつき、色彩感覚がにぶい。とくにある種の緑と赤のみわけがつきにくい。『紅緑色弱』とでもいうのだろうか。」(1)と明かすとおり、色盲の人なのである。そこで彼は、色彩の効果についての客観的な研究事例に色彩表現の組成を求めることにした。結果、この作品の色彩設計は明快で筋の通ったものになったと言える。それはまた、当時の大映が採用していたイーストマンコダック社のフィルムの高い彩度という特性によるところも少なくないだろう。

ここでこの作品の色彩表現から監督の色盲というファクターを差し引いて考えてみると、客観的な色彩感覚にしたがうという方法は色彩設計上のひとつの方法論だったと考えられる。主観的な感覚による色彩設計を捨て、むしろ表現においてより開かれた映像的記号要素として色彩というイメージをとらえるという方法論である。事実、吉村のカラー作品における色彩設計の背景には、色盲であるという事実以外にも、色彩を「単に黒白に色のついたものではなく、モンタージュの要素として映画表現のための第三の次元で捕らえたい」(2)という彼の考えがある。
ほぼ全編において見られるような鮮やかな色のせめぎ合いは作品全体に緊張感をもたらしていたし、そのことで人物の感情の流れが強調されてたち現れてきていて、ヒロインのうちにひめられた感情の大きさ、染め物の鮮やかさや実験されたハエの赤さは、京都の褐色の町並みに何か影を落としているようだ。映画表現のための要素として色彩を振り返ると、愛し合う男女が近代化あるいはモラルの問題に引き裂かれていく姿が、モンタージュという映像の葛藤のプロセスを経ることで象徴的に描かれていたと言えるのではないだろうか。




夜の河(56年・大映京都)
製作:永田雅一 監督:吉村公三郎 原作:沢野久雄 脚本:田中澄江
撮影:宮川一夫 美術:内藤昭 音楽:池野成 
出演:山本富士子/上原謙/小野道子/中川和子/阿井美千子/川崎敬三/
   東野英治郎


参考文献
吉村公三郎「伝記叢書303 映画のいのち 伝記・吉村公三郎」大空社

※ 文中の(1)、(2)はともに同書からの引用。


(2000年1月)

死せる男ジョニー・デップと美しき異邦人カテリーナ・ゴルベワ - (講義「作品研究」前期への提出レポート)

(“表層としてのジャングル”)


1.死せる男

 今ちょうど公開中の映画「ナインスゲート」や、「ラスベガスをやっつけろ」など、ジョニー・デップは近年多くの映画に立て続けに主演している。彼は、「たくさんいる」ハリウッドスターの中でも最も注目に値する俳優の一人で、今まで自分の出るべきわずかな映画をほぼ正確に選んできたひとだと言える。またそれは良い映画の賢明な制作者の判断でもあろう。シネフィルならずとも、出世作「シザーハンズ」での大きな鋏の手を持つジョニー・デップや「デッドマン」で目を閉じて静かに横たわるジョニー・デップの姿を鮮明に思い出せるだろう。ここではまず、彼が主演した二つの映画について考えることから始めようと思う。

 「シザーハンズ」でジョニー・デップが演じるのは、山から街へ下りてきた心優しき人造人間エドワードである。エドワードは、黒い鋼を身にまとい、髪は爆発し、両手は大きな鋏という風貌で、街の人々のような社会的な常識をまるで持ち合わせていない。この映画では、そんな彼を住まわせてくれるキム(この役を演じているウィノナ・ライダーとジョニー・デップが恋人同士だったことは有名である)の一家を間において、エドワードと街の人たちとのコミュニケーション/ディスコミュニケーションが描かれている。
 エドワードにとっての街とは、それまでの住みなれた父なる博士の館から、突然の博士の死によって放り出されることになった未知の世界である。これはちょうど、ロビンソン・クルーソーが船の難破で無人島に一人投げ出されたこととよく似ているように思われる。ロビンソン・クルーソーを取り囲むジャングルが、「シザーハンズ」においてそこに住む人々を含めた街全体であるとするならば、無人島に一人(のちにフライデーという黒人があらわれるのだが)で生き延びると言う状況は、街の人々が共有している常識的な共同体のイメージと相容れることができないエドワードの状況に対応していると考えられる。

 95年の「デッドマン」においても、ジョニー・デップは見知らぬ世界へとやってきた人間(外から来た人間)を演じている。職を求めて故郷から遠く離れた土地へとやって来たウィリアム・ブレイクことジョニー・デップは、ひょんなことから賞金稼ぎに追われる身となり、村から離れひとり放浪するインディアン「ノーボディ」に導かれるままに野山をさまよいつづける。傷を負った男は、ノーボディと同じ血を持つものたちの村から海へと返され、死の時を待つ。
 この作品の場合、男が降りた駅からどこまでも広がる山林がまさに表象としてのジャングルとして扱われているのだが、そのロードムービー的な性格は、さらに観念的なジャングル=未知の世界へと私たちをいざなう。
 タイトルが示す通り、この映画には死のイメージが色濃くにじんでいる。ノーボディによって「聖なる世界」と表現される死の世界は、ジャングル=未知の世界=死の世界という関連を成り立たせるのと同時に、生の世界と死の世界との連続したつながりをも暗示している。すでに多くの人によって語られたことであるが、この男は「あらかじめ死んでいる」者としてさまよいつづけていたのだと考えられる。この男がさまよい歩いている地点は、ゆるやかな/一瞬の変化の狭間の地点であり、すべての事物が静止しているような地点なのである。海と空に囲まれて目を閉じていくジョニー・デップの姿は、あたかも私たちをとりまく世界全体が表層としてのジャングルの性格を帯びていることを象徴しているかのようだ。



2.異邦人

 ここでもう一人、魅力的な女優カテリーナ・ゴルベワの存在を挙げたいと思う。彼女の出演した映画のうち、「パリ、18区、夜」と「ポーラX」と言う二本の映画はともに表象としてのジャングルのイメージが巧みに映画の中に織り込まれている例である。

 クレール・ドゥニ監督の「パリ、18区、夜」でゴルベワは、リトアニアから経済的な理由などのため移ってきた主人公の女性を好演している。
 この映画が何よりもまず「街」を第一義的に扱っていることは、タイトルからも容易に想像できる。この映画で描かれる街は、「タクシードライバー」が主人公トラヴィスを始めとする人物たちのドライな感じや、街が発散する湿った感じにあふれていた映画だったのとは対照的に、濃密ではない、涼しげな空気で満たされている。その空虚とも言える街の風景が連続する中で、ゴルベワの登場するシークエンスは私に特別な安心感を覚えさせた。物語の主軸は、ゴルベワ演じるところの主人公とは直接関係のない老女連続殺人事件にあるのだが、それでも主人公が主人公たり得ているのは、ゴルベワの役どころが観客と同じく街の外の世界のものだからだろう。つまり、観客はパリ18区には住んでいない外の者の目でその街を見ているため、同じく外のものとしての目を持つ異邦人ゴルベワに自らの居場所を求めたのであろう。

 昨年公開された「ポーラX」でゴルベワは、主人公ピエールの姉であり、また性愛を超えた魂の伴侶でもあるイザベルの役を演じている。彼女はまたユーゴスラビアからの難民であり、腹違いの弟ピエールには存在を知られていなかったがピエールの夢のなかで始めて出会う、という複雑な設定の役である。
 映画の内容について多くを語るつもりはないが、この映画においても異邦人としてのゴルベワは主人公ピエールという観客の視座を規定する重要な役割を果たしている。
 現実の世界でイザベラと出会ったピエールは、それまでのノルマンディでの生活やフィアンセを捨ててイザベラや彼女と同じ村から来た娘二人とともにパリで暮らすことにするのだが、観客にとってのその「引越し」の臨場感は、内戦中のユーゴというまったく別の世界から来たイザベラの視点が存在することによって見事に強調されている。
 この映画における「表象としてのジャングル」を正確に指し示すことは難しいが、空間の移動や先に待つ運命のまったく見えないような展開に際した未知の感覚は、この映画が「表象としてのジャングル」を内に含んでいる証であるとだけは言えるだろう。




<参考作品>

 「クルーソー」
88年・米  監督:キャレブ・デシャネル
  「シザーハンズ」
90年・米  製作・監督・原案:ティム・バートン
  「デッドマン」
     95年・米  監督:ジム・ジャームッシュ
  「パリ、18区、夜」
     94年・仏  監督:クレール・ドゥニ
  「ポーラX」
     99年・仏  監督・脚本:レオス・カラックス
  「タクシードライバー」
     76年・米  監督:マーティン・スコセッシ

(2000年)

映像において、性的表現はどこまで許されるのか - (講義「作品研究」前期への提出レポート)

1.男性による、映像表現への考察(その1)

「映画によって、言葉を根こそぎ奪われた瞬間の無上の甘美さをたぶんあなたは知っているだろう。そして、その沈黙にいつまでも耐えつづけることの息苦しさをも知っているに違いない。」

「映画を巡ってつづられる言葉は、長らく、この灰色の自分を納得し、それを正当化する口実にすぎなかった。」

 上記の文章は、蓮見重彦氏が編集をされていた映画雑誌「季刊リュミエール」の第一号に掲載された創刊の辞からの抜粋である。これは言うまでもなく、映画の周囲を回り続ける言葉に対する考察だ。



2.男性による、映像表現への考察(その2)

 A・ヒッチコック「サイコ」において、浴室でジャネット・リーが殺されるシーンが衝撃をもって迎えられ、天才的映画作家の数ある作品の中でも最も有名なイマージュとなった理由の一つに、映像表現の持つ性的な側面が挙げられると思う。
 アパートの一室でのつかの間の情事に我々は、ジャネット・リーの華奢な身体とそれに似つかわしくない豊満な胸を覗き見する。



3.男性による、映像表現への考察(その3)

 ところで、いま私たちはビデオというものを通して映画に触れることができる。しかし、「体験する」ことができる映画を前にして、レンタルビデオの便利さに何の意味があろうか。映画と人間の関係を離れて、ビデオになった映画を小さなモニターで見るとき、私たちが単に体験することを逸してしまっただけでなく「良識ある」形而上的思考によって自分が自分以上の存在であるかのように錯覚してしまっていることは明らかである。私たちが現実において生きている限り、完全に静止した安全な地点を手に入れることなどできるはずがないのだ。「映画」はビデオで見るものではない。ビデオはもっと別の何かであるのにちがいない。



4.男性による、映像表現への考察(その4)

「水は上へとび、夜は明るくなければならぬ。人工のいつわりがこの世の真実であらねばならぬ。人の理知は自然の真実のためではなく、偽りの真実の為に、その完全な組み立ての為に、捧げつくされなければならぬ。偽りにまさる真実はこの世にはありえない。なぜなら、偽りのみが、たぶん、退屈ではないから。」
(坂口安吾「恋をしに行く」より)



5.男性による、映像表現への考察(その5)

「語りえぬ事柄については沈黙すべきである。」
(ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」)

 サイレント / 白黒 / 限界 / 沈黙

 くだらない男は、しゃべりすぎる。



6.映像において、性的表現はどこまで許されるのか

 この問いに対する解答はケースバイケースだと思うので、答えられません。
 かといって、ある作品における映像表現を取り上げてみても、私には、有効な言葉が明確に示せるとも思いません。

 たとえば、解答に際して映像の限界を示すことが必要ならば、それは映像の内側からなされるべきで、本来レポートでは無理なのかもしれません。ケースバイケースとはその意味です。
 また、それは私にそれだけの言葉を操る能力や知識の引出しがないだけのことなのかもしれません。
 道徳・倫理的な問題を離れて「性的表現はどこまで許されるのか」と考えることは、今の私には出来ません。とりあえず、このことを説明するために、関係すると思われるような引用などを連ねることにしました。

(2000年)

「現代的スポ根」マンガ論 - (講義「作品研究」前期への提出レポート)

1.スポ根と「ピンポン」(その1)

 松本大洋の「ピンポン」(全5巻・小学館)というマンガは、「スポ根」についての言及が含まれるスポーツ漫画であった。「ペコ」こと勝手気ままな星野裕と、「スマイル」こと笑わない月本誠の、高校生卓球の物語である本作は松本大洋の作品の中ではもっとも一般的な読者へのアプローチを意識していた作品だろう。
 ここでは松本大洋や他の漫画家たちの作家論に陥ることないよう注意して、ただ「ピンポン」という作品の考察を通した「スポ根もの」の現代的なありかたについてのみ論じるようにしたい。


2.<強さのインフレ>

 講談社から始まるスポ根マンガがそうであるように、「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載された数々のヒット作もまた一時代を築いたマンガである。その少年ジャンプの黄金時代を支えた作品のうち最も重要な作品の一つに、鳥山明の「ドラゴンボール」が挙げられる。この作品は、かつてのスポ根マンガが現在のマンガに残した思念を考える上でのカギを握る作品でもある。
 どんな願いもかなえてくれるというドラゴンボールをめぐった冒険の物語として始まった「ドラゴンボール」は、次第に、主人公・孫悟空の戦士としての成長のドラマを強調して、世界一強い人間を決める<天下一武闘会>や恐怖の大魔王ピッコロとの闘いから、果ては宇宙から襲来する戦闘種族サイヤ人との死闘などといった具合に、格闘マンガとして発展していく。しかしこのマンガが幾多の主人公成長型の格闘マンガと比べて特異な点は、人知をはるかに超えて際限なく強くなっていく孫悟空と途切れることなくやってくる強敵との間に繰り広げられる毎回の戦闘の<強さの度合い>の飛躍的な増大である。鳥山明は非常に優秀な作家であるにもかかわらず、<強さの度合い>が右肩上がりを続け読者の関心が高まる一方で、とうとうマンガの表現がそれについていくことができなくなってしまうという事態を迎えることになる。具体的な身体描写はもとよりその他のあらゆる表象も出尽くしてしまったのだ。このことを指して竹熊健太郎氏は、<強さのインフレ>と表現している。インフレの後の「ドラゴンボール」ワールド再生措置として作者は、彼本来の持ち味であるキャラクター造形の巧みさを生かした信頼に足るクオリティの安心できる戦闘マンガとしてのリスタートを選んだ。このような奇妙な位相のマンガは確かにそれまでと異なる意味で面白かったのだが、やはり祭りのあとののどかさ(静けさではない)は少なからずその闘いが永遠に続かないことを意味していたのではないか。高森朝雄(梶原一騎の本名)の「明日のジョー」以来続く主人公成長型の格闘マンガは、ここで一つの終着点にたどり着いたのだといえよう。
 しかし、もう一つのジャンプ黄金時代の作品が、スポ根マンガの新たな金字塔を打ち立てることになる。井上雄彦の「スラムダンク」は、近年まれに見る正統派スポーツマンガであった。始めは、好きな女の子がマネージャーを務めるバスケットボール部に入部した不良高校生の姿を半ばギャグマンガ的に描いていたが、最終巻では、最強の敵・山王工業との試合での湘北高校バスケ部の逆転劇を、数十ページにもわたって吹き出しを一切用いずに描写するまでに至る。魅力的なキャラクターたちがまだまだ控えていたのにもかかわらず、「第一部・完」として唐突に完結させることで、少年ジャンプ的<強さのインフレ>を最も稚拙な形ではあるが作者自身によって回避した(事後的な深読みにすぎないかもしれないが)。それはまた、「ドラゴンボール」の場合とはちょうど逆に、高校生活という感覚的に短い時間を普遍的な切なさ(刹那さ?)として扱うということでもあったのだ。


3.時間の流れ

 もともと「スラムダンク」というマンガは表現力豊かで、特に、試合中の各選手の心理状態や個人的バックグラウンド、対する相手との沈黙の語り合い(実際しゃべっている場合でも、なにより各ゲームにおいてのみ発生する言外に含む意味が重要なのだ)は躍動する身体とともに見るものを圧倒したものだ。そしてこの饒舌の結果として、試合中の時間の流れは尋常ではないほど遅かった。一週間の掲載ページで時間が10秒ほどしか進まないなどというのはザラにある。
 かつて隆盛を極めたいわゆるスポ根漫画には、別の意味で時間の流れがもっと遅いものも少なくなかった。私の記憶する限りでは、「明日のジョー」ではなかなかスポーツとしてのボクシングは出てこず矢吹丈はひたすらドヤ街をブラブラしていた。このときに繰り広げられるケンカが、拳キチ・丹下段平の飽くなき説得を経ることでボクシングへと発展するわけだが、それにはかなりの時間を要した。また「ドカベン」の山田太郎は一向に野球を始めず、あろうことか数巻にもわたって柔道部で汗を流し続けるのだ。
 一方で、「ピンポン」は、早い。冒頭からまるで試合中であるかのような一種の緊張感をもって始まり、ひたすら卓球と人物との関係が追いかけられていく。試合中の描写は緻密と言うよりもむしろ象徴的で、時間経過がすっ飛ばされていて、早い。
 また、最大の敵・海王学園は第一巻から登場する。全五巻という作品のボリュームから言えば当然なのだろうし、この短さは最終回のなんだかあっけない終わり方ともあいまって不満を感じないでもない。少なくとも「スラムダンク」のボリュームを知っているので、それと比べるとどうしても頼りなく感じられる。しかしそれでも「ピンポン」が頭に残って離れない作品であるのは、そこに断片的なイメージの鮮烈さ、瞬間的なマンガのセンス・オブ・ワンダー(おそらくSFに関して使われていた言葉ではなかったかと記憶している。「AKIRA」で有名な大友克洋は新進マンガ家・黒田硫黄に対して「キャラクターやエロに隷属された漫画界にあって、真にセンス・オブ・ワンダーを持った作家である」としてこの言葉を用いている。)を認識できたからだろう。とまれ、一見すると「ピンポン」の早さと「スラムダンク」の遅さが目に付くが、本当はどちらが早いとも遅いとも言いきれるものではないということだけは肝に銘じておかなくてはならないだろう。高校時代やスポーツというもの自体が、主観的な速度で、主観的な認識しか出来ないし、両作品とも選手としての生活とそれ以外の生活、言い換えるなら試合中の時間とそれ以外の時間の区別をあいまいにしているので時間はひたすら感覚的なものとなっているからだ。つまり、もともと実時間と言う文体を持たないマンガにおいて、マンガらしさを体現していると考えられる。
 


4.画の表現

 松本大洋が描くミリペンの均一でくねくねした線は、ひさうちみちおの冷たい線や、当然のことながら大勢の松本大洋フォロワーたちの線を思い起こさせる。しかしもっとも私が重きを置くのは、多田由美の線のイメージである。80年代に登場して以来「放蕩息子」「お陽様なんか出なくてもかまわない」などで知られる多田由美において、人物や風景はコマの内外を問わず静止しているし、フレーミングは非常に映画/写真的だ。あるいは、絵画を想起させると言ってもいい。また、アメリカを舞台にアメリカ人を登場人物にしていることも彼女のマンガの特徴である。もちろんネームはほとんど日本語である。読むのが日本人だから当然だ。日本人のマンガ家がアメリカらしいアメリカを描き、日本人の読者が読む。そこにあるのは80年代的アメリカかぶれとも見られるような倒錯したイメージである。(ホモセクシャルの美男子をよく登場させることからも以前の少女マンガの倒錯を見て取れる。)多田由美以降、と言うわけではないだろうが、このような傾向をもつ新しいマンガは、スーパーフラットなジャパニーズアート(たとえば、奈良美智や村上隆など)とまさに地続きだ。 また、細い線の作家で忘れてはならないのが大友克洋である。「AKIRA」(全6巻・講談社)のそれまでのマンガとは桁違いの線の多さが、以降のマンガ(そしてアニメ)の表現を変えてしまったとは良く言われることだ。マンガの写実的なスペクタクル表現は「AKIRA」において極まったと言えるからだ。またそこに我々は、映画(特に米・ハリウッド映画)と最も接近したマンガの姿も見ることも可能だ。では、「AKIRA」はマンガをどう変えたというのだろうか?
 松本大洋のマンガの場合、「AKIRA」の黒い画面を踏襲したマンガが市場を賑わす一方で、白い画面において奔放な線が求められている。岡崎京子をはじめとするこれらいわゆる片仮名の”マンガ”がサブ・カルチャー的な新しさを持って迎えられることで、マンガ独自の表現の可能性が広く示されるようになってきたと言える。そのような意味で、人気マンガ誌・週刊ビッグコミックスピリッツで連載された「ピンポン」は作者の独特の作風がすでに一部の読者だけの持ち物ではないということを証明している。
 ここで、梶原一騎のマンガは、劇画であったことを思い出そう。松本大洋のマンガは劇画と言い難い。しかし、劇画の表現がスポ根マンガを規定し、今のマンガもその波のあとにあるのは間違いない。なにしろ、マンガの神様・手塚治虫も劇画的表現を取り入れたくらいの波の大きさだ。




 岡崎京子なきあと(?)ガールズコミック界を牽引する安野モヨコ(「ハッピーマニア」「ラブマスターX」など)や、月刊マーガレット(集英社)の少女漫画家としてデビューし今や週刊ヤングジャンプ(同じく集英社)のお抱え作家となったきたがわ翔は、明らかに多田由美のマンガの影響下にある。そこに並列させうる作家として、松本大洋を挙げられないだろうか。安野モヨコの描く人物の眼、きたがわ翔の描く人物の手や首、そして松本大洋の時間感覚、構図、コントラストの強い画、これらはみな多田由美的な表現にちがいないように思われる。


たとえば「ピンポン」などは劇画の黒さ、スポ根の暑苦しさから開放された、涼しい画面だ。


その涼しさは時として冷たいブルーのような感覚を与えるが、人情ものがある温もりを伴って悲劇たり得るように、私たちは「ピンポン」のブルーに、イエロー、つまり幸福感や外向的な態度を補完しているはずである。(そのことはいびつな線、いびつなキャラクターとして実際成立している。)これこそまさに現代的な日本人の感覚に即していると言えないだろうか。


5.スポ根と「ピンポン」(その2)

 昨年の文化庁芸術祭「Robot-ism」内で行われたシンポジウムで富野喜悠季氏が「人型のロボットに我々は容易に感情移入することができる」ということをおっしゃっていた。このことばは「起動戦士ガンダム」の人気獲得への考察や策略を超えて、アニメやテレビゲームまたはそれ以外のプロダクトにおける<キャラクター>というものの性格を言外に含んでいるものと考えられる。
 テレビアニメ版の「サザエさん」や「ドラえもん」の例を挙げるまでもなく、<キャラクター>のいる世界は永遠性を伴って成立しているように見える。子供向けの<キャラクター>の世界がほぼそうであるのは、ある程度年端のいった人間においては「日常=繰り返し=単純で退屈」が成り立ち、何かにつけて一回性に期待する(「何かいいことないかな」とはまさにこの感覚の表れである。)のに対し、子供において繰り返しは多様性であると考えられるからかも知れない。
 スポ根ものは、練習と試合の繰り返しの先には勝利や理想といった目標があり、その「汗と涙の」一本道が、読者に人生の様々なブルーな暗い側面を見せるような乱反射を起こす。「ピンポン」は最初に記したようにスポ根への言及が含まれるスポ根マンガである。いわゆるスポ根黄金時代が去ってしまった後に描かれたスポ根マンガは、内容に優劣の差こそあれ、なべてそういう色彩をある程度は持っていると言えるだろう。しかし「ピンポン」で特筆すべきなのは<ヒーロー>と<才能>という問題だ。おそらく多くの人が、今これらの言葉を目にしたら、ヒーローや才能のある人でなくヒーローになれない人、才能のない人をイメージするのではないか?我々の思慮(錯覚)はブルーな方へと向かいやすくできている(とくに青少年層の場合)。日常のブルーが時に私たちを飲み込まんとするほどのものなのに、それでもスポ根の物語は溢れ出していて、読者には止められない。そういうマンガなのだ、これは。いささか感情に任せて述べているように思われるかもしれないが、実際「僕の血は鉄の味がする!」というようなセリフが飛び交うトーンのマンガなのだから仕方がない。
 「ピンポン」では主役の二人でさえ(冒頭から「ペコはやんちゃでスマイルはクール」という設定が明らかにされるものの、)いまいち確固としたキャラクター性に欠ける。それはある意味歪んだ人物形成とも言えるような、人間の表層と内面の不可分な関係が描かれているからだ。この作品でのキャラクターたちは感情移入の対象としてのキャラクターではなく、むしろページをめくって会いに行く、個性(友達?)なのだ。
 また、主人公と同世代の女の子がほとんど出てこないのも重要だ。松本大洋と言えば、「鉄コン筋クリート」も男の子二人が主人公だ。これは、いまや「ボクとキミがいればどこまでも行ける」的なロマンティシズムの幻想は成立せず、「オレたち二匹は無敵」的なポジティビィティがものを言うという自体をあらわすものなのだろうか。否、二人と二匹の間には、歴然の差がある。それは、自分という存在が悩める「一人」でさえなく、オプティミズムを排除したあとに残る「一匹」としてここにあるという認識の差だ。これは黄金時代のスポ根と比べてみても有効な考えだろう。「ピンポン」における「飛ぶ」あるいは「飛べる」などといった言葉は抽象的で、かつてのスポ根よりも現実離れしていそうだが、高校生ペコとスマイルの断片的な感情を隠さず表現すリアルな表現であるのだ。
 「現代的な」マンガは、その時代において単純とも複雑とも言えるような背景を持ち、また単純とも複雑とも言えるような構造も持っている。「ピンポン」の人物関係やプロットはかつてのスポ根マンガと同じように単純であるのと同時に、複雑でもあるのだ。



6.現代的スポ根マンガ

 私は「ピンポン」と同時期に同じ週刊ビッグコミックスピリッツで連載された、「月下の棋士」(能條純一・連載中)がスポ根の正統後継者たるマンガであると考える。テーブルゲームをモチーフにしたマンガのなかでも人間の狂気や時の流れの中で形作られた歪みといった領域まで踏み込んで人間を描けている作品は他にはないし、エロ劇画雑誌上の作品、そして麻雀漫画「なきの龍」などで実力を培ってきた作者が劇画の素養をすてることなくスピリッツで連載する本作品は、テレビドラマ化もなされた。能條のマンガでは、主人公は始めから力を持っている。あからさまな成長物語ではないものの、主人公の見る世界が次第に深まっていき、将棋と主人公が絶対に切り離せない宿命のようなものを感じさせるという点では伝統的なスポ根と一致している。

(2000年)

カメラマンの仕事とは何か - (講義「作品研究」前期への提出レポート)

映画監督や出演者で見る映画を選ぶように、撮影監督の名前を頼りにビデオを借りて見ることがある。なにかしら映画の研究をしようというような場合、ビデオが非常に便利であるのは確かで、異なる監督の下においてある特定のカメラマンがそれぞれの場合どのような映像を完成させたのか、比較がしやすい。私の場合、映画館で同じ映画を一度や二度見たところで、たいてい考えが及ぶのは監督や俳優までで、カメラマンの仕事ぶりはなかなか見えてこないのが実際だ。
映画監督は、いい映画を作ろうとして努力するものだ。そして完成させようとしているその映画のその映画らしさにふさわしい画、音と、それらを生み出す風景なり俳優を考える。映画監督とは映画にかかわるスタッフの仕事を取り仕切る現場監督であり、また作家でもある。しかし、良い映像を求めて自らカメラは回さない。もちろん、的確な音響を得るためにマイクを構えることもしない。実際にそれをするのは撮影部や録音部の人間だ。
ところで、映画監督にスティル写真の経験が無い人はいないだろうと思う。私の知るかぎりではヴィム・ヴェンダースが日本でも写真展を開いていたことぐらいしか確かではないのだが、映画を作りたいと思う人間がスティル写真の存在を無視するとは思えない。それが映画カメラマンの場合となると、スティル写真を知らない人間は皆無と言って間違いないはずだ。
私のとぼしい経験から想像するに、撮影の現場において、映画カメラマンとスティルのカメラマンの仕事はさほど変わらないものではないか。違うとすればそれはむしろ撮影にのぞむ以前の準備の段階における両者の差違の影響だと言えるだろう。つまり、映画においては準備として撮影監督をはじめとする撮影部と、監督との対話が不可欠であるわけだが、これはたんに撮影に携わる人間の数の多少といった問題だけではないだろう。大ざっぱに考えて、映画には映画監督という作品を仕上げる責任者と、撮影監督という画の責任者、それ以外にも多くの責任者が存在しているが、監督の演出は当然ほかの責任者の仕事内容にも及ぶ。仕事内容の重なり合いは、ある種の執念をもってなされるような対話を続けないと、それぞれの意志を妥協という形でしか映画に反映させられないという事態を招きかねない。特にカメラマンの仕事は、まさに映画のルックにかかわる種類のもので複雑な思考を要求するので、可能なかぎり妥協は回避しなければならないのだ。

(2000年7月)

講義の感想(2000/6/29) - (講義「作品研究」前期への提出レポート)

じつのところ、私は授業に出席するのが遅れたために、先生の講義が十分に理解できたとは言い難いです。しかし、仕事に対し熱意をもって成し遂げることが大切なのだという気分は伝わってきたように思い、これ自体は凡庸な表現ではあるがやはり言い得ていると感じました。これではまるで私が小学生のような感覚で受講していたように思われてしまうかもしれませんが、実際、久しぶりに子供のころのまっすぐな熱意が蘇ってくるように感じられました。

私は今メディア全体を視野に入れて、表現について考えています。しかし、プロの作家(=メディアアーティスト?)と同じように作ろうとするのではなく、あくまで学生として、作ることに向き合いたいと思っています。つまり、完成したよい作品を作ることはいうまでもなく重要なことだが、学生である私にとってはむしろそれに至るプロセスをしっかりと把握し広げていく習慣を持つことの方を重視すべきではないかと思っているのです。こう考えたとき、今の私にとって映像表現は本当に難しいもののように思えてなりません。おそらく先生のお話を最初から余すことなく聞いていれば、現在の自分と照らし合わせてプロと学生との違いについて考えることができたのではないかと思うと残念です。


(2000年7月)

監督とプロデューサーの役割の違いは何処にあるのか? - (講義「作品研究」前期への提出レポート)

 監督とプロデューサーはともに、出演者(もしくは声優)を含めたスタッフたちの、輪の中心となる存在であると言える。この、輪が持つふたつの中心の違いとは何だろうか?当然のことながら、二つの役割があるからその間に違いがあるわけではなく、まず異なる必然があったため、異なる二つの役割が生まれたのだと考えるのが自然である。
 スタッフたちの輪において、監督が「目に見える」中心であるのに対し、プロデューサーは「目に見えない」中心の役割を果たす、としたら感覚的過ぎるだろうか。あるいは、監督という中心を、輪の内側において周縁へ向かう放射状のベクトルを放つ地点として考えた場合、もうひとつのプロデューサーという中心は周縁からのちょうど反対方向のベクトルを収斂させる地点であると言えよう。監督がつかさどるところの”動脈の流れ”は準備段階を含めた映画の現場を動き出させるが、監督を含めたスタッフの輪を円環たらしめているのはプロデューサーが支配する”静脈の流れ”なのだ。このときプロデューサーは、輪をその外側から見つめる役割、言うなれば興業としての映画製作を監視する役割を担うのである。

(2000年7月)

「おじゃる丸」における永遠性の表現について - (講義「アニメーション」への提出レポート)

(選択テーマ:感銘を受けたアニメーション作品)

幼い頃から14、5の歳になるまでテレビで放送されていたアニメーションを好んで見ていたせいもあって、広くアニメーションという表現について考えることは自らの少年時代について考えることとよく似ているように思われる。
子供が見たがるアニメとは「子供向けアニメ」であるはずだが、一度アニメから離れたある程度の年の人間がそれらのアニメを好む、というような場合も少なくないのではないだろうか。実際、子供向け作品の中には丹念に作られた楽しめる作品がいくつかある。
 例えば「おじゃる丸」「カードキャプターさくら」(いずれもNHKエンタープライズ、現在放送中)「ポポロクロイス物語」(テレビ東京、放送終了)といったテレビ・アニメーションは、デビット・リンチが演出を手がけ我が国でも人気を博したテレビドラマ「ツイン・ピークス」のようなテレビの連続ものが生む独特のおもしろさ
を持っている。毎週放送というフォーマットにおいて一つの物語を直線的に各回に分配するのではなく、本来物語の進行に必要な情報をトリッキーに明かしていくことで、作品世界の永遠性を錯覚させるような効果を生んでいるのだ。あるいはこのような考え方は「サザエさん」や「ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」などの長寿アニメ
番組においては至極当然のことであるかも知れない。しかし「おじゃる丸」の場合はかなり意識的にそのような効果を生むことに努めているし、「カードキャプターさくら」の場合は同時に確実なストーリー進行を感じさせるという点で興味深い作品である。
 「おじゃる丸」は、平安時代から現代にタイムスリップしてきた貴族の子どもおじゃる丸が主人公のテレビ・アニメーション作品である。おじゃる丸は各回15分の放送枠の中で毎日、何をするともなく日常生活を過ごすのだが、作品の骨格は町と主人公の関係、町の住人たちと主人公の関係で成り立っている。おじゃる丸がやってきたのは、かつて彼ら貴族階級が暮らしていたところだったのだが、今では日本のごくありふれた住宅地になった土地。町には二つの時代を結びつけるものがいくつか残っている。それらはおじゃる丸ら登場人物にとっては断片的過ぎるためかあまり重要視されていなく、
町の姿を俯瞰する視聴者によってのみ徐々に形作られていく時代の掛け橋なのだ。
 また、町に生活する様々なキャラクターたちは、変人とも呼べるほど強烈な個性の持ち主で、魅力的だ。主人公と彼らのふれあいは何か大きな物語に向かうでもなく、ただ無邪気に毎日繰り広げられるだけである。その非・生産的な作品態度こそが永遠性をもたらしているわけだ。ただし毎回の放送の積み重ねは本当に何も生産しないわけではない。永遠に続くかのような日常生活の繰り返しにおいて、時の流れ、土地の息遣いを表出させ、暖かな気持ちでキャラクターたちの振る舞いを眺められるような調和のとれた作品世界は、他の子ども向けテレビ・アニメーション作品と比べ、あまりにも特異なのである。
ところで、アニメーションという表現のユニークな点について十分に自覚的であることの重要さは、アニメーション表現を語る上であまり指摘されてきていないのではないだろうか。例えば、昨今のテレビなどにおいては、ある種アニメおたく的なコミュニティを形成することに奉仕するような作品が少なからず存在する。しかしそれらはアニメという限定された枠組み、あるいはそれを好む人のコミュニティ、市場に自らを閉じ込めるような表現でしかないのである。つまり、すべてのメディア表現、もしくは映像表現などのアニメ以外の表現には置き換え不可能な表現でなければ、そのような表現に向かおうとする意識を反映させていなければ、二次元の薄っぺらな作品でしかないということだ。
静止画の連続で動いているということ、二次元であること、それどころかスーパーフラットでさえあること、そのようなセル・アニメーションの性質に加え、テレビ放送というメディアの性格をも理解した上で生まれた「おじゃる丸」が、私は今面白くて仕方ない。

(2001年1月)

メディア・ネットワークを漂流するテクスト - (講義「出版編集概論」への提出レポート)

「電子出版」という言葉は、数年前までさかんに使われ、それなりの注目を集めていたが、このところ全く聞かなくなった。当時「電子出版」に加え「マルチメディア」というもうひとつのキーワードによってメディア文化の展開は語られていた。コンピューターが単なる事務作業的な情報処理のための装置からメディア文化の中心に位置するような存在になると期待されていたのだ。そのこと自体には何も誤りは無かったと言ってもよいのだが、しかし各個人のもとにパソコンを本格的に普及させたのはインターネットにほかならない。コンピューターのネットワークが我々にとって最も重要なメディアのひとつを形成するだけに終止せず、企業経済のありかたさえも少なからず変化させたことは周知の事実である。

振り返ってみると「電子出版」という言葉は、PCネットワークを背景にしたメディア社会の変化・進展に至る前の段階に言わば代替的な流行語としてもてはやされていたにすぎなかったのだろう。しかし、地球的規模において社会がネットワーク化していくまでの過渡的な時期になぜ、まず書物がビット世界との関係において取り沙汰されたのか?「電子出版」という語に代わって昨今過剰なほど注目されているホームページこそがインターネット前夜にメディア論者や文化人らの夢想した「電子出版」の真の姿である、と考えるのは早急に過ぎる。むしろ、他ならぬ旧来的な書物の存在が今日のような高度にネットワーク化したメディア情勢を準備していたのではないだろうか。

メディアとして最も古いものである書物は、私達の思考のエンジンとして長い間駆動してきた。書物なしには私たちの文明の誕生や発達はありえなかったはずだ。このことを別の視点から眺めてみると、書物はいつの時代も人間の思考体系の合わせ鏡として存在していたとも考えられる。
かつて少数の貴人や教父たちの持ち物でしかなかった時代の書物は、何よりも尊ばれるべき賢者の教えや神の言葉の記録であった。大多数の人々にとってはそのような書物は畏怖の対象としての賢者、神そのものと等しく遠い存在であったに違いない。
時代も下り、グーテンベルクによって活版印刷技術が生み出されることで、誰もが本を所有し、読むことが出来るようになっていった。人々の読書のスタイルも、少数の本に集中したものから次第に拡散した読書へと変化し、いまや書き手と読み手の区別さえ定かではなくなってきている。書物を「書く」ことが、作家にだけ許された特別な技術だった時代は終わり、全ての人にとって「読む」「書く」といったエクリチュールは開かれているのである。
ここで重要なのは、書くという行為のみが生産的で創造的な行為というわけではないということだ。読むという行為もまた同じく生産的、創造的な行為なのである。読む行為とは書かれた内容から意味を抽出するだけでなく、複数の書かれたもの相互の新たな関連を創出していく作業でもあるのだ。ここにおいて、書かれたものとしての書物という以外にも、読む行為のうちに生成された超言語的な生産物としての「テクスト」の概念が創出される。
前述したホームページとはPCネットワーク上に成立したハイパーテキストであるが、無数に広がるテキストの海をネットサーフして情報を眺めるという今日では当たり前になった行為は、まさに無限の「テクスト」を読みつづけている様子そのものだと言える。
インターネット前夜に祭り上げられたマルチメディア的「電子出版」も、このように思考のエンジンとしての書物が変化するということ、つまり私達の思考体系そのものが新たな段階へと進みつつあることを背景としたアイデアだったとするならば、あながち的外れだったとも言い切れない。また、「マルチメディア」という語も、各個人が所有するコンピューターが彼の情報行為のターミナルとなり、エクリチュールを拡張する装置として機能するという意味ではパソコンの性格をよく言い表していたようだ。

ここまでコンピューターを話題の中心に据えて論述してきたのは、様々なメディアそれら自体が、コンピューターのネットワークによってテクストとして織り込まれていき、有機的に統一されていくと考えられるからである。M・マクルーハンの予言したメディア社会は、これからもその網の目の密度を濃くしていくだろう。
古くから存在する書物が今日のネットワークを準備していたと先に記したが、さらに踏み込んで言うと印刷物の普及、ビット・ストリームの拡大によって準備されているのは、「テクスト」の概念に基づいた自由で創造的な生活、つまり誰もがそれぞれのエクリチュールを身につけ表現するという時代の到来なのかもしれない。「書き手」という能動的な主体、「読み手」という受動的な主体、あるいは「読まれるもの」としての受動的な書物、それらが安住できるような居場所はもはや存在していないのだ。本というメディアは本だけでは存在できず、また本の内容は本というメディアには収まり切らずに、もっと大きな「テクスト」へと向かいつづけるだろう。

参考文献
 M・マクルハーン「メディア論」(みすず書房)
 R・バルト「テクストの快楽」(みすず書房)
 奥出直人「思考のエンジン」(青土社、1991年)


(2001年2月)

繰り返しのイメージ - (講義「サウンドデザイン」への提出レポート)

私が音楽を聴き始めて、おそらくまず最初に感じていたであろうと思われることのひとつに、音楽における繰り返しの重要性が挙げられる。例えば多くの歌謡は、1番・2番(・3番・・・)という旋律の大きな繰り返しの構造や歌詞の繰り返しを持っている。ポピュラー・ミュージックのいわゆる「ヴァース→コーラス→ヴァース」あるいは「Aメロ→Bメロ→サビ」などのありふれた構成の楽曲において感情を揺さぶるものがあるとしたらそれは、美しい旋律や良いと思われる歌詞の繰り返しの効果ではないだろうか。
音楽用語の「リフレイン」とは、楽曲や楽章の終わりや特定の形式にしたがった構造のなかに見られる反復部のことを指すもののようだ。一方、今日広く用いられている「リフ」という省略表現には、そういった音楽上の定式を離れた単なる繰り返しの意味しかないと思われる。私が問題にしたいのは、後者の側の、より広域な意味での「繰り返し」についてである。残念ながら私は音楽形式や記譜法、音楽理論にほとんど親しくないため、漠然とした言うなれば形而上的な、音楽における、音楽の繰り返しの効果について論じてみたいと思う。

モーリス・ラヴェル(Maurice Ravel・1875-1937)の「水の戯れ」というピアノ曲は、私が最も愛する楽曲の一つである。
 音楽の素養にかける私のような人間でも、「水の戯れ」の尋常ならざる美しさには驚かされた。5年ほど前に始めてこの曲を聴いたときの私は標題音楽という言葉さえ知らなかったのだが、おそらくこの楽曲がピアノ以外の楽器で演奏されたら、もっと別のタイトルを必要とすることだろう。和音からこぼれ出してきたような単音のなだらかな連続は、転がり上がる/落ちる細かな水の玉を想起させ、聴く者はときに風でゆらめきたつ水面や、おだやかな河の流れへと断続的にイメージを変化させながら、とらえきれない流動的な楽音に身を任せてしまえる。
 このような印象主義的なイメージの移り変わりは、ピアノの旋律の繰り返しによるところが大きい。端的に記すと、冒頭の反復部に始まって、幾度となく現れるある旋律の反復から似た旋律の反復への移行が連想ゲーム的に行われ続けることで、まさに水のようにつかみどころのない、繊細なピアノの音色だけが耳に残るような全体が生じているのである。反復が全体に重層的な響きを与えているというよりむしろ旋律どうしの差異の総和が全体であると考えた方が正しそうだ。
 
 ところで、印象主義的音楽と標題音楽との間を結ぶには、イメージ(image[仏]=イマージュ=映像)が仲介役としてふさわしい。音楽における繰り返しという状態を可視的なイメージに置き換えるとするならば、それは円のイメージということになろう。スティーブ・ライヒ(Steve Reich・1936-)のピアノ曲「PIANO PHASE」やテープループによる「COME OUT」「IT'S GONNA RAIN」などのミニマル・ミュージックなどはまさにこの好例である。たとえば「PIANO PHASE」の2台のピアノは従来の記譜法では不可能だった位相のずれ(フェイズ・シフティング)に眼目がおかれているが、それぞれのピアノが演奏する同じ旋律が少しずつずれていくプロセスそのものが音楽であるという作曲家自身の考えに従うなら、反復される旋律の円環は二台のピアノの緩やかなずれを持ってはじめて音楽として構成されていることになる。フェイズ・シフティングという展開の方法が、反復の円環に対する補助線の役割を超えて、面あるいは立体を構成するまでの力となっているというわけだ。

 「水の戯れ」において考えると、複数の円環はいずれも異なるものであり、全体は線的なポリフォニーではなく立体的なイメージになっている。このような繰り返しのもつ効果の恩恵を受けて、私の知る限りのほとんどの音楽が出来ていると言ってもいいのではないだろうか。



参考資料
 「新音楽史」H.M.ミラー著 東海大学出版会 1977
 「緩やかに移り行くプロセスとしての音楽」スティーブ・ライヒ (正確な初出は未確認)

音源(所持するもの)
 CD「水の戯れ」演奏:モニク・アース
 CD「水の戯れ」演奏:サンソン・フランソワ


(2001年2月)

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