0.前書き

前書き

私が当該論文において示そうとしている基本的な考え方は、現代における私たちの社会生活/個人生活が、速度のありかたについて改めて捉え直すべきターニング・ポイントを迎えているのではないかということである。

この考えは、家電製品から自動車、コンピューターまでといったメディア全般の速度技術によって地球上のすべての地域が互いに近接した領土として結びつけられているという、ひとつの単純な事実に由来している。そのせいで、速度社会の住人たる現代人にとって、移動することと住まうことの境界はまったく曖昧なものになりつつあるのだ。

こうした速度時代の要諦を担っている<乗り物>について考えることをきっかけにして、私たちはそれぞれ<今、ここにいるということ>について何らかの根拠のようなものを求めることができるのではないだろうか。つまり私が試みようとしているのは、移動する乗り物を中心に据えたときに想像しうるひとつの基本的な世界地図を作成することでもある。私は、その地図をもとにして、現代社会における私たちそれぞれの個人生活の所在について確かめることができるかもしれないと考えるのである。

機械技術による細分化の働きの下で近代メディアに課せられていた役割とは、われわれの身体そのものを空間に拡張することであったとマクルーハンは言う。時間も空間も超越するようにして地球全体が定住社会の属領となった現在では、その広大な神経回路内を行き交う速度はすべてメディアに任されている。その意味で、マーシャル・マクルーハンやバックミンスター・フラーといった論客は、それぞれの観点から地球規模の速度統制技術を模索していた人たちなのである。

それ自体が現代社会の大きな前提・よりどころであると言ってもよい<乗り物>には、わたしたちの日常的移動を担っている側面、遊戯的な側面、速度機械としての側面、グローバリゼーションが要求する基礎的メディアとしての側面といったさまざまな視点からの考察が加えられなければならない。本論では、現代において乗り物が果たす役割の多様性に軸をとりながら、メディア、住環境、遊びとテクノロジー、生き方(ライフスタイル)の順に、それぞれと<移動すること>との関係を検証していく。

第1章「メディアとしての乗り物」では、メディアという現代社会の重要なタームと乗り物の存在を関連付けることによって、速度という社会変容の媒介変数についての記述を導き出す。また、人が定住領域を拡大してきた根拠を乗り物に求めることで、これとグローバリゼーションという大きな流れとの関連について考察する。

次に第2章「失われつつある生活」では、主に郊外という住環境について検証していくことで、近代以降の定住生活のあり方を確かめていく。郊外と乗り物の存在については、アメリカという土地が雄弁な証言者としてそれらの時代背景を物語ってくれるだろう。この章ではアメリカに端を発するモータリゼーション、自動車という乗り物の普及が20世紀において決定的に重要な出来事であったことを明らかにしようとしている。同時に、わが国における新交通システムがある程度まで普及した事実をもとに、モータリゼーション以降の定住社会の動向について考察する。

第3章「テクノロジー」では、乗り物の技術的背景ではなく<あそび>という観点から乗り物の非実用的な用途について考える。<あそび>のテクノロジーとしての乗り物の成立要件とは、言うまでもなく速度である。速度の遊戯と移動することとを併置させることで、現代において乗り物に期待される役割を探る。

そして第4章では、<移動すること>と定住的アイデンティティの帰属対象としての<家>とのかかわりを通して、今後の個人生活の展望についての私なりの考えを示そうと試みている。ここでは、ノマドロジーや放浪といった個人の生き方、ライフスタイルについても言及することになる。これらの考察によって、現代における定住生活の意義について、多少なりとも概観を描くことができたことと思っている。

最後に、この場をお借りして、執筆に際してご指導してくださった森岡祥倫教授、実松亮講師に感謝いたします。



[ 前へ ]  |  [ 次へ ]

目次


Comments

ysIJW0mcB さん (05/17 19:31:34):
Absolutely first rate and coodpr-bottpmee, gentlemen!

※ コメント投稿時のNGワードについて

Add Comment

コメント投稿時のNGワードについて

About

「移動と定住」 は、taichistereo(入江太一) によって 2001年に執筆された 卒業論文です(学科賞 受賞)。

大学卒業後は ハードディスクの片隅にひっそりと眠っているだけでしたが、2007年に Nucleus CMS を用いて 改めてコンテンツとして蘇生させることにしました。

■ 当時の学籍 ■
東京工芸大学 芸術学部 映像学科 メディア計画研究室

Navigation