『夜の河』における色彩設計について - (講義「作品研究」後期への提出レポート)

 阪大助教授・竹村に病気の妻がいることを知った時、竹村を愛するキワは彼と結ばれたいと願う一方で、彼の妻の死を願うようなことはあってはならないという自戒の念に感情を抑えられ思い悩んでいる。つまりキワにとっては、余命いくばくもない妻を持つ男性からの求婚とは単に願望を実現するための決断を迫られるにとどまらず、彼女のモラルの位相を問われる種類の出来事であったのである。
このように旧来的なモラルと近代的奔放さにその身を引き裂かれているのはヒロインだけではない。京都という土地もまた、古くからの伝統的な息遣いと押し寄せる近代化の時流とに引き裂かれているのである。現在においても、新たな建物の建設計画が明らかになるたびに住民の間に議論が引き起こされている。1997年に京都駅が大々的に改築されたおり、土地以外の人々からも様々な意見が出たことは記憶に新しい。

 『夜の河』における京都の街は、全体的に淡く褐色がかったような色彩を基調に描かれているのだが、時折画面に持ち込まれる着物生地や花などの鮮やかな原色の存在していたことを忘れてはならない。なぜなら、その目の眩むような原色が、人物たちの振る舞いや感情を丹念に紡ぎ出す物語のなかにあって一種軽快とも言えるようなリズムを生んでいるからだ。
この作品が吉村公三郎の初めてのカラー映画であるが、彼は自伝の中で「実をいうと、私は生まれつき、色彩感覚がにぶい。とくにある種の緑と赤のみわけがつきにくい。『紅緑色弱』とでもいうのだろうか。」(1)と明かすとおり、色盲の人なのである。そこで彼は、色彩の効果についての客観的な研究事例に色彩表現の組成を求めることにした。結果、この作品の色彩設計は明快で筋の通ったものになったと言える。それはまた、当時の大映が採用していたイーストマンコダック社のフィルムの高い彩度という特性によるところも少なくないだろう。

ここでこの作品の色彩表現から監督の色盲というファクターを差し引いて考えてみると、客観的な色彩感覚にしたがうという方法は色彩設計上のひとつの方法論だったと考えられる。主観的な感覚による色彩設計を捨て、むしろ表現においてより開かれた映像的記号要素として色彩というイメージをとらえるという方法論である。事実、吉村のカラー作品における色彩設計の背景には、色盲であるという事実以外にも、色彩を「単に黒白に色のついたものではなく、モンタージュの要素として映画表現のための第三の次元で捕らえたい」(2)という彼の考えがある。
ほぼ全編において見られるような鮮やかな色のせめぎ合いは作品全体に緊張感をもたらしていたし、そのことで人物の感情の流れが強調されてたち現れてきていて、ヒロインのうちにひめられた感情の大きさ、染め物の鮮やかさや実験されたハエの赤さは、京都の褐色の町並みに何か影を落としているようだ。映画表現のための要素として色彩を振り返ると、愛し合う男女が近代化あるいはモラルの問題に引き裂かれていく姿が、モンタージュという映像の葛藤のプロセスを経ることで象徴的に描かれていたと言えるのではないだろうか。




夜の河(56年・大映京都)
製作:永田雅一 監督:吉村公三郎 原作:沢野久雄 脚本:田中澄江
撮影:宮川一夫 美術:内藤昭 音楽:池野成 
出演:山本富士子/上原謙/小野道子/中川和子/阿井美千子/川崎敬三/
   東野英治郎


参考文献
吉村公三郎「伝記叢書303 映画のいのち 伝記・吉村公三郎」大空社

※ 文中の(1)、(2)はともに同書からの引用。


(2000年1月)

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Felt so hopeless looking for answers to my qutesiont...unsil now.

5XKGE7urCRo • 07 August, 2016 • 00:07:57

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