作家性と複数性について - (講義「作品研究」後期への提出レポート)

作品制作において、作家性というものは、作家本人の周囲を取り巻いている複数性に対立するものなのであろうか。あるいは完全な個人作業でない限り、作家は「作家性か、複数性か」という二者択一を迫られたり、両者の均衡状態を最適に保ち続けなくてはならないのだろうか。

このような問題が集団作業に関わる個人(狭義の「作家」に限定しなくてもよいだろう)にとって重要なのは当然だが、個人作業において無視されて良いものでもあるまい。なぜなら、ひろく物づくりにおいて、複数性とは単に複数の人間が作品制作に携わるということのみを指しているのではないと考えられるからだ。あるいはこのように言い換えることも可能だろう。複製技術が発達する遥か以前ならまだしも、今日のような高度なメディア情勢が、「複数であること」と関わりを持たない純粋な作家の居場所など果たして許してくれるだろうか?いまやそのような作品制作は、いわゆる「自分さがし」のためのモラトリアムな時間のなかにしか存在しえないのではないか。

ここで、作品のメディアが何であっても、また制作に携わる人間の多少にかかわらず、作品制作は常にその過程に複数性を含んでいるということを指摘しておきたい。

不特定多数の人間に対して提示されるための表現に作家性があるかどうかは場合により異なるにしても、少なくとも表現は作家以外の人間、つまり他者が存在してはじめて表現と「呼ばれる」はずである。さらに、表現という行為は先天的に複数であるということ、つまり時空を超越した「ただ一つの」表現というものを考えてみたとしてもそれは「ある一つの」表現でしかないということが言える以上、ひとつの作品は「作品の総体」とでも言うべき複数性を前提にして存在していると考えられる。

その制作過程において作家は、彼以外の人間の存在や今作られつつある作品(行為されつつある表現)以外の作品(表現)があるという可能性に向かってのみ作品を作ることができる。また、作品が完成するまでのプロセスは、実際には選択されなかった無数のプロセスのなかから生まれたものである。ここまで考えてみると、制作に際し組織された集団や帰属社会、あるいはそれらを形成する個人が作家個人にいわれのない妥協を強要することがあるとすれば、それはコミュニケーション(ないしは商業性)の問題以外にはありえないということは明確である。元来作家性とは、作家と作品の関係性を「作家は作品制作/表現行為に対して唯我的に存在している」という構図で捉えたにすぎないはずだ。その作家性が集団や社会といった複数性を前に不自由になるのは、作家が、作るということが持つ複数性や集団作業における個人相互のコミュニケーション(これこそがまさに複数性の問題そのものだと言えよう)を軽んじているときだろう。


(2000年12月)

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Comments

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TzszufDKADGGkNpeyA • 09 August, 2011 • 19:22:49
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WEAS30zhbP • 17 May, 2016 • 17:01:23
continua a fazer-me confusão a teoria do "depois haiÃbuamo-nos".Ht¡ valores que têm de ser preservados.Com 15km de frente ribeirinha, tinha de fazer o terminal mesmo em cima de Alfama????

jCvUlw60 • 17 May, 2016 • 19:01:29

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