M.マクルーハンの「文化マトリックス」について - (講義「メディア論」への提出レポート)

ライト・コンストラクションに見られるマトリックスにおいて、ガラスは物質性を伴う素材としてではなく、光を透過させ建築の内と外との区別を希薄にするようないわば非物質として用いられている。だが内と外との厳格な関係を決定するものの存在が不確かになったとしても、建築から構造そのものが失われることはない。
マクルーハンの理論によれば、情報文化において有機的に統一された相互作用の関係を可能にしたのは、電気の即時的なスピードである。機械技術によって画一的で均質的な単位に細分化されたパターンとは線条的な論理でしかなく、電気の時代にはじめて、我々の知覚体系と比べてみてもきわめて自然な、全体的な相互依存の構造の観念が定着しようとしているのである。
有機的に統一された情報文化とは単に情報の送り手と受け手との双方向的な作用を指すものではない。メディアの背後には人間がいて、技術を用いる人間こそが重要なのだとする考えは、機械技術の時代のものと何ら変わらない。むしろ、メディアの内容は別のメディアであるという同時的な相互依存性によってわれわれの知覚・経験が統一されていると考えなくてはならないだろう。このときはじめて、あの「メディアはメッセージである」という皮肉めいたステイトメントがメディアと人間の関係全体を見事に言い当てるのである。
ここで具体的なメディアの例として、電話の場合を考えてみよう。電話というメディアの内容をわれわれの会話、あるいは声であると考えれば、しかし音声自体は、ラジオはもちろんテレビや映画、レコードなど様々なメディアの内容なのである。電話の内容は言葉であると考えてみれば、事情はいっそう複雑になる。話し言葉は書き言葉の内容で、書き言葉は印刷された言葉の内容であるといえる。つまりここでは言語の体系およびその成り立ちの問題が入れ子の構造に現れているのだが、一方で話し言葉を非言語的なプロトコルとして捉え直してみても人間の思考過程に関する入れ子の構造が立ち現れる。このように電話というメディアの複雑な織物は、電話回線のごとくわれわれの周囲の環境に広がりを求めるわけだが、それは電気の即時的なスピードがもたらした相互依存性の結果だと言える。
特定のメディアにおいて固有の内容というものは考えられない。冒頭で採りあげた建築というメディアなどはまさに「機能する空き箱」である。建築の物理的な構造は電気の時代にCADによる設計の技術やサイバースペースというメタ空間を獲得し、文化的マトリックスの物質性/非物質性を具現化しているのかも知れない。

(2000年9月)

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Comments

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dXkV8NCP6hd • 15 July, 2015 • 18:05:12
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UgTOolf9 • 17 May, 2016 • 15:05:35
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UA9Q8S0W • 17 May, 2016 • 15:11:04

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