メディア・ネットワークを漂流するテクスト - (講義「出版編集概論」への提出レポート)

「電子出版」という言葉は、数年前までさかんに使われ、それなりの注目を集めていたが、このところ全く聞かなくなった。当時「電子出版」に加え「マルチメディア」というもうひとつのキーワードによってメディア文化の展開は語られていた。コンピューターが単なる事務作業的な情報処理のための装置からメディア文化の中心に位置するような存在になると期待されていたのだ。そのこと自体には何も誤りは無かったと言ってもよいのだが、しかし各個人のもとにパソコンを本格的に普及させたのはインターネットにほかならない。コンピューターのネットワークが我々にとって最も重要なメディアのひとつを形成するだけに終止せず、企業経済のありかたさえも少なからず変化させたことは周知の事実である。

振り返ってみると「電子出版」という言葉は、PCネットワークを背景にしたメディア社会の変化・進展に至る前の段階に言わば代替的な流行語としてもてはやされていたにすぎなかったのだろう。しかし、地球的規模において社会がネットワーク化していくまでの過渡的な時期になぜ、まず書物がビット世界との関係において取り沙汰されたのか?「電子出版」という語に代わって昨今過剰なほど注目されているホームページこそがインターネット前夜にメディア論者や文化人らの夢想した「電子出版」の真の姿である、と考えるのは早急に過ぎる。むしろ、他ならぬ旧来的な書物の存在が今日のような高度にネットワーク化したメディア情勢を準備していたのではないだろうか。

メディアとして最も古いものである書物は、私達の思考のエンジンとして長い間駆動してきた。書物なしには私たちの文明の誕生や発達はありえなかったはずだ。このことを別の視点から眺めてみると、書物はいつの時代も人間の思考体系の合わせ鏡として存在していたとも考えられる。
かつて少数の貴人や教父たちの持ち物でしかなかった時代の書物は、何よりも尊ばれるべき賢者の教えや神の言葉の記録であった。大多数の人々にとってはそのような書物は畏怖の対象としての賢者、神そのものと等しく遠い存在であったに違いない。
時代も下り、グーテンベルクによって活版印刷技術が生み出されることで、誰もが本を所有し、読むことが出来るようになっていった。人々の読書のスタイルも、少数の本に集中したものから次第に拡散した読書へと変化し、いまや書き手と読み手の区別さえ定かではなくなってきている。書物を「書く」ことが、作家にだけ許された特別な技術だった時代は終わり、全ての人にとって「読む」「書く」といったエクリチュールは開かれているのである。
ここで重要なのは、書くという行為のみが生産的で創造的な行為というわけではないということだ。読むという行為もまた同じく生産的、創造的な行為なのである。読む行為とは書かれた内容から意味を抽出するだけでなく、複数の書かれたもの相互の新たな関連を創出していく作業でもあるのだ。ここにおいて、書かれたものとしての書物という以外にも、読む行為のうちに生成された超言語的な生産物としての「テクスト」の概念が創出される。
前述したホームページとはPCネットワーク上に成立したハイパーテキストであるが、無数に広がるテキストの海をネットサーフして情報を眺めるという今日では当たり前になった行為は、まさに無限の「テクスト」を読みつづけている様子そのものだと言える。
インターネット前夜に祭り上げられたマルチメディア的「電子出版」も、このように思考のエンジンとしての書物が変化するということ、つまり私達の思考体系そのものが新たな段階へと進みつつあることを背景としたアイデアだったとするならば、あながち的外れだったとも言い切れない。また、「マルチメディア」という語も、各個人が所有するコンピューターが彼の情報行為のターミナルとなり、エクリチュールを拡張する装置として機能するという意味ではパソコンの性格をよく言い表していたようだ。

ここまでコンピューターを話題の中心に据えて論述してきたのは、様々なメディアそれら自体が、コンピューターのネットワークによってテクストとして織り込まれていき、有機的に統一されていくと考えられるからである。M・マクルーハンの予言したメディア社会は、これからもその網の目の密度を濃くしていくだろう。
古くから存在する書物が今日のネットワークを準備していたと先に記したが、さらに踏み込んで言うと印刷物の普及、ビット・ストリームの拡大によって準備されているのは、「テクスト」の概念に基づいた自由で創造的な生活、つまり誰もがそれぞれのエクリチュールを身につけ表現するという時代の到来なのかもしれない。「書き手」という能動的な主体、「読み手」という受動的な主体、あるいは「読まれるもの」としての受動的な書物、それらが安住できるような居場所はもはや存在していないのだ。本というメディアは本だけでは存在できず、また本の内容は本というメディアには収まり切らずに、もっと大きな「テクスト」へと向かいつづけるだろう。

参考文献
 M・マクルハーン「メディア論」(みすず書房)
 R・バルト「テクストの快楽」(みすず書房)
 奥出直人「思考のエンジン」(青土社、1991年)


(2001年2月)

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