2.2.郊外の住環境

2.失われつつある生活
2.2.郊外の住環境

郊外という定住領域の開拓は20世紀における大量消費文化の台頭と深い関係にあると言えるが、郊外で生活するという発想自体はなにもモータリゼーションによるレビットタウンなどに始まったことではない。今日のように速度技術がグローバル社会を形成する以前の馬車の時代から、住環境は徐々に郊外に広がり始めていた(マクルーハン『メディア論』1964、P.184)。鉄道馬車にかわって蒸気機関車が都市間交通を担うようになると、その後自動車が登場するまでのあいだ馬車はもっぱら都市内交通に従事することになる。鉄道(列車)という輸送力の大きな長距離交通が敷衍されていくことで、都市の中心性と郊外の集積性とが強化されていくことになる。都市−農村−郊外という社会環境(住環境)のトライアングルはこのあたりにその由来を求められそうだ。

レッチワース田園都市の空撮写真
レッチワース田園都市の空撮写真
こういった前時代の小さな郊外化とは別に今日にまではっきりと残る形で、20世紀における本格的な郊外型文化形成の動きの先鞭を切ったのは、E・ハワード(1850-1928)である。彼は、社会生活に対するビジョンや先進性といったものを携えて、環境の良い田園地帯と社会施設の集まった都市とを組み合わせた、互いの機能の片寄りを中和するような住環境として、郊外のあり方を計画した。1898年出版の『明日―真の改革にいたる平和な道』と1902年の同書改訂版『明日への田園都市』において提案された<田園都市(ガーデン・シティ)>がそれで、住宅と職場、各種公共施設や公園などを合わせ持つ人口3万人規模の郊外都市が、円周状に緑を配置することで緑化と市街化のバランスを計画的に保つよう考えられた。そして田園都市相互は鉄道で結ばれて、それぞれは自足した自立都市となると考えられていた。田園都市は実際に1903年にはロンドン郊外のレッチワースにおける最初の経営が開始されて以降、モータリゼーションが全世界的に本格化するまで、各地でそれぞれの郊外開発が主に鉄道交通をたよりにして続けられるのだが、しかし実際に田園都市の理念が実現されたと言えるのはイギリスのレッチワースとウェルウィンくらいで、その後は住機能にかたよった郊外住宅地しか生まれなかったという(角野『郊外の20世紀』2000、P.123)。

日本国内における郊外開発も鉄道をたよりに進んでいった。戦前、近代化する都市部での住環境の悪化をうけて、関東の東急電鉄や関西の阪急電鉄といった私鉄が、田園都市よろしく「環境の素晴らしさ」を前面に押し出した専用住宅地を自ら建設、経営しはじめた。こういった開発事業が、輸入されてきた田園都市の考え方をモデルにしていたことは重要だ。このときの住環境としてすぐれた郊外地域の多くは今でもそのブランドイメージを保って高級住宅地として残っている。それが例えば東京都大田区の田園調布一帯(東急東横線)や兵庫県の芦屋(阪急神戸線)などであるわけだが、田園調布の場合は現在の地図でもこの時期の郊外専用住宅地に特徴的な、駅を中心として放射状に広げられた区画事業の計画性というものが見て取れる。

私鉄は経営上の基本的要件として乗客を集めるためにこれらの開発を行ったのだが、同じような思惑で以降も私鉄各社は百貨店経営などの周辺事業を充実させていく。鉄道事業というものは実際のところ、ただそれだけでは利益が上がらないような類のものだと言われる。周辺事業の少ない新幹線の運賃があれほど高額なのは、純粋な運賃収入のみによって採算を維持しているためと考えてもよいだろう。ロードサイド・エンパイアーズの繁栄に先立って、鉄道に支えられた郊外では、レールサイド・エンパイアーズとも形容できるような産業が生まれていた。ショッピングや飲食、娯楽などをパッケージングした、大小さまざまな規模で建設された駅ビルがそれである。こうした状況はちょうど江戸時代に東海道の宿場町が栄えたのと良く似ている。近代以降の社会における<駅>という中心の重要さは、言うまでもないことだ。

ただし、田園調布の場合もそうなのだが、このころの郊外地域は往々にして、今の私たちの感覚で言えば郊外というよりも都心に近い印象がある。スプロール的に市街化が進み続けることで郊外はより遠くへと切り開かれていったからだ。戦後の高度経済成長を受けて都市部の拡大、農地の宅地化、住宅地のさらなる郊外化がすすみ、戦前にあった住宅地などは一部の高級住宅地を除くとほとんどが市街化してしまうという結果が待っていた。都市部の産業・商業が発達を続けると、それを支える労働者の需要が高まり、地方から都市に人口が流れ、地方人口の過疎化が起こる。一方の都市部では住宅不足を解消するために住宅公団が集合住宅を大量に供給する必要があった。都市計画の一環として建設された郊外の団地、いわゆるニュータウンがそれにあたる。

実現していく郊外住宅地が田園都市の理想とするような母都市からの自立した職住近接地域とならなかった原因のひとつは、田園都市が低所得者層の住宅として土地公有の理念に根ざしたものであったのに対し、日本では住居とは個人自らが手に入れるものでありつづけたことに由来しているといえるだろう。都市労働者をはじめ、ほとんどの個人は「すみかえすごろく」に沿って住居を格上げしていくという20世紀的な夢に向かって邁進した。こうした欲求の受け皿として機能したのは、ハワードの職住近接の理念に基づいたガーデンシティではなくて、私鉄や行政の住宅供給策が産んだ「ガーデンサバーブという住機能に特化したベッドタウン」だった(角野『郊外の20世紀』2000、P.123)。

このパラグラフではここまで主にモータリゼーション以前の郊外について見てきたが、ここで80年代アメリカに登場したエッジシティと呼ばれる郊外都市の存在にも触れておく必要があるだろう。角野はエッジシティについて次のように説明する。

エッジシティの代表的な事例として、ラス・コリナスを紹介しよう。テキサス州ダラスの郊外十数キロのところに位置し、近くには総面積七二〇〇ヘクタールという世界最大規模の飛行場、ダラス・フォートワース空港がある。ラス・コリナスの総面積は四八〇〇ヘクタール、千里ニュータウンの約四倍の広さを持つ。計画では昼間人口一五万人、夜間人口五万人。住宅地区商業地区、リゾート地区、工業団地があり、キャロライン湖という訳五〇ヘクタールの人口湖もある。

ほとんど真っ平らな土地を高速道路がいくつにも区切り、そこにオフィスや住宅が散らばる。かなたにはダラスの超高層ビルのシルエットが、単調な大平原の景観にアクセントを与える。空には飛行機が縦横に間断なく離着陸する。

ここは車と飛行機の都市である。開発主体である企業の本社ビルの足元には、テキサスの開拓魂を象徴するかのような野生馬の彫刻があるが、オフィス街にも住宅地にも、外を歩く人の姿は見えない。(角野『郊外の20世紀』2000、P.125

ラス・コリナスの全景
ラス・コリナスの全景
千葉県浦安市
千葉県浦安市
「SIM CITY 2000」
「SIM CITY 2000」
職住近接の自立都市という点では一見、エッジシティは田園都市に近いもののように思われる。しかし角野の考察から読み知るかぎりでは、この寒々とした郊外都市は豊かな緑と都市機能が共生する快適な住環境というよりは、コンピューターゲームでシミュレーションされようとしているメガロシティのような、見せかけの奥行きしか持たない地域であるようだ。日本では例えば、千葉県浦安市やさいたま新都心などの都市計画が先行した後に各種企業・施設の誘致に尽力する郊外地域がこれにあてはまるだろうか。わたしたちはこういった無機質で閑散とした郊外の風景を、ホンマタカシが撮影した写真において確かなものとして認めることが出来る[写真中央、加えて35頁参照]。

エッジシティあるいはガーデンサバーブという土地はもはやそこに住まう者たちにとっての置き換え不可能な根拠、かけがえのなさなどありはしないだろう(愛着はあっても)。なぜならそこは、移動する事を最大の要件とした速度社会がつじつま合わせでもするかのようにつくりあげた、スタンダードが支配する街だからだ。そのような土地を移動の終点/起点として、根を張ってとどまることは幾分の矛盾を孕むことになると言わざるを得ない。

作為的に物流/人の移動のノード(結合点)として仕立て上げることで可能になった住環境というのは、細かな点を除けばどこでもほとんど同じものが出来上がることだろう。運良くそうならなかったとしても、これらの郊外都市はその成り立ちがまるで同じなのである。こう考えると、ガーデンサバーブに住むということは、土地に定住するというよりは、速度社会におけるひとつの乗り物あるいは駅・ターミナルの中にとどまっているようなものと言えるかもしれない。



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「移動と定住」 は、taichistereo(入江太一) によって 2001年に執筆された 卒業論文です(学科賞 受賞)。

大学卒業後は ハードディスクの片隅にひっそりと眠っているだけでしたが、2007年に Nucleus CMS を用いて 改めてコンテンツとして蘇生させることにしました。

■ 当時の学籍 ■
東京工芸大学 芸術学部 映像学科 メディア計画研究室

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